日々のつぶやきとか覚書とか
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元和9年(1623年)、秀忠が家光に征夷大将軍職を譲るために上洛。
家光7月13日京都着、秀忠6月8日京都着。 そのため諸大名も京都に集まる。 7月27日に家光に将軍宣下。 長政、忠之(当時忠政)と共に先立って上洛。 土井さんの訪問中に胸の痛みを訴える。 次の何とか伏見城に登城するも寝込む。 秀忠が主治医貸してくれたり、黒田家の主治医やら、昔のなじみの医者とか見てくれる。 重病だから国に帰って療養した方がいいよ、いや、でもここで帰るのも対面が悪いよとか言ってるうちに病状が悪化。 心配した、土井さんと酒井さん×2(忠世と忠勝)がお見舞いに来る。公方様も心配している。 しかし、これはもうだめかもわからんね、という空気になった時に長政が重臣とか読んで遺言を残す。 辞世の句:此のほどは 浮世のたびにまよひきて 今こそ帰れ 安楽の空 アバウトな意訳:何かもう現世に疲れたわ さっさと死んで楽になりたいわ 8月4日逝去。享年55歳。 長政の愛馬の大鹿毛がその時殉死したらしい。 長政の遺体は菅と村尾が付き添って国に運ぶ。 長興と高政はその後に京都に到着し、行き違いになる。 二人とも、そのまま筑前での葬儀には名代を遣わせて江戸にもどる。 葬儀は福岡の箱崎浦で、棺には大膳と忠之が手を添えて送り出す。 火葬の時に、火の中に長政の鷹が飛び込んで殉死したらしい。 PR
池田(黒田)通……池田輝興の長女。1635年くらいの生まれ(適当な)。1645年の事件の後、黒田忠之に引き取られ黒田之勝の妻になる。
池田輝興……池田輝政の末子。赤穂二代藩主。1611年生~1647年没。1645年3月15日、愛宕下の藩邸にて突如乱心。岡山藩池田光政預かりとなる。右近太夫。 黒田亀子……黒田長政の末娘。池田輝興の正室。1616年生~1645年没。 池田政種……池田輝興の長男。通の(たぶん)弟。1637年生~1683年没。「事件」の後、父と共に岡山藩池田家預かりとなる。幼名五郎八、通称求馬。 池田政成……池田輝興の次男。通の弟。詳しいことはよくわからない。 黒田忠之……黒田長政の長男。福岡二代藩主。1602年生~1654年没。亀子の兄、つまり通の叔父で養父。右衛門佐→筑前守。 黒田光之……黒田忠之の長男。後の福岡三代藩主。1628年生~1707年没。父との仲はギスギスしてるなんてもんじゃない。晩年は息子ともギスギスして泥沼化する。嫁は小笠原忠真の娘。左京太夫→右衛門佐? 幼名万槌。通称吉兵衛。初名は長之。 黒田之勝……黒田忠之の次男。東蓮寺二代藩主。1634年生~1663年没。通の旦那になる人。右馬頭→市正。幼名万吉、通称官兵衛。 物凄く重要人物でありながら、之勝さんについてがわからない。 7歳で東蓮寺藩主になってるようなんだけど、通の前に嫁がいたとかいなかったとか、娘がいるんだが通の子なのか? 30で死んでるのでその辺もよくわからない。 一番よくわからないのは、光之と之勝は同母兄弟なんだけど、確か光之は「母親が忠之に嫌われてたので、三奈木の家に放置されてた」らしいのだが、その辺どうなってるの?忠之さん。 あと、益軒先生も出したい。 黒田家文書も読みたいのだが、何気に三奈木黒田家の資料も必要な気がする。 追記。 よく見たら忘れてた。 黒田長興……黒田長政の三男。秋月初代藩主。1610年生~1665年没。亀子の兄で忠之の弟、つまり通の叔父。兄に一方的に嫌がらせを受けるが、甥の時代に本藩と和解。甲斐守。幼名犬万。 大河ドラマ「春の坂道」(宗りん主人公)で結構重要なキャストで黒田甲斐守様が出てたようなのですが、そのキャストが故高橋悦史さんだったらしく、私的にイメージに近いルックスだったので、必死で画像をググってみて見つけた。 http://logoon.org/ なんだかんだで素は浅田小林路線なんだろうと思うのだけど、そもそも浅田次郎先生と小林多喜二先生の文体は近いの?
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