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アドはこちらです。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~irohalab/lab/

それに伴い、ここにあった小説群は小説ページに移動しました。
新作を何かアップしたかったけど、出来なかったもんはしょうがない。
お礼文もなんか作りたいけど、それもおいおい。

それから、右見ればわかりますが、ついった登録してみました!

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あれれー? もう四月ですよ……
おかしいな、4月1日にサイト開くはずだったのにな……
とりあえず週末を目標にします、うん


まあ、いろいろ考えたところ、黒田長政には浪漫が足りないよね、という気がする
でも、そういうところが好きなんだろうな
ちなみに私としては、「息子にしたい戦国大名NO.1」です
結婚するなら、蜂須賀家政か加藤嘉明かな
大名じゃないけど栗山利安も捨てがたい


最終的な自分の研究(?)テーマは、やっぱり戦国大名が近世大名になる変化の過程とか近世大名が華族になる過程とかその辺なんだと思う


黒田は軽妙なコメディ、長宗我部はベタベタな人情時代モノを目指しているんだけど、井伊は純文学というか明治~戦前の文学調というか、ぶっちゃけ目標は泉鏡花だったりする

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益軒先生が忠之の勘気をこうむった理由がようわからん
益軒先生伝記(あるのかな?)とか読めば書いてるかな
あの忠之のことだから物凄くつまらんことのような気がするんだけどな
生活態度を批判されたとか、男同士の痴情のもつれとかそんなところだろう
(すっかり忠之が自堕落的で我儘なガチホモになってるんだけど、何かあんまりにあんまりなんで病弱な美形属性とかつけたらどうにかなるだろうか)

しかし、いろいろ調べてみると大涼院様つえーというエピソードがごろごろ転がってそうです
何となくで「正義感が強くて頑固な箱入りお姫様」みたいなキャラ付けが私の中でされていたのですが外れてなさそうな気がする
つか、督姫(権現様の次女で姫路宰相殿の嫁)にしろ、清浄院様(せいこしょさんの後妻で水野かっちゃんの妹)にしろ、氏姫(権現様の曾孫でよししげくんの嫁)にしろ、徳川一門の嫁はなんだかんだで強くて賢妻が多い
あからさまな政略結婚とは言え、徳川さんとこと縁組してよかったわね、という感じのケースが多いと思う

あとフロイスのアレがかなり面白いので、全部自分でそろえようかなあと考え中
「宴席に招いた相手を騙し討ちにして暗殺するのが、この国の習慣」とか偏見に満ち溢れ過ぎ
そんなん古今東西どこでもある暗殺の手口だと思うのだけれど……
何か特定できそうなんだけど注釈のない人物がいっぱい出てくるんだけど、「播磨に領地持ってる羽柴の側近の息子の若者」はダミアンで、「ジュストと同じような身分でジュストと親交の厚い武将」はレオンさんじゃないのかしら? どうなのかしら?

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幕末の江戸の地図と現代の地図を比較できる本を買ってみました(ついでに京都安土桃山編も)
んで、江戸の大名屋敷を眺めていたんですが、松平さんの多すぎね?
ていうか、松平姓を許されたからって、何でもかんでも名乗るんじゃないよ!
「松平美濃守」とか書かれててもさっぱりわからんよ、長溥公
まあ、歴代藩主で美濃守になってるのがこの人だけなので、逆にいうと時代は大体特定できたけどさ
ていうか、官職はその家で統一してほしいよね、井伊掃部はとてもわかりやすいです
しかし幕末の島津さんは何とも黒いなあ

城井の鶴姫についての実際のところがよくわからない
ダミアンは鶴姫とは結局結婚してないんだよね?
っていうか、「婚姻を条件に和睦(したふりをして謀殺)」ということになってるんだけど、この時点(1588年)で糸ちん(ちん言うな)を嫁にしてるはず
(糸ちんと結婚したのが1585年で17歳の頃)
糸ちんの実家は当時は黒田家よりも石高あるし、先に大名になってるし、お父さんも太閤様の側近中の側近だったから、太閤様の養女として嫁いできてるから、少なくとも太閤様が存命中は縁組が解消させることはないはず
単純に、側室(要するに妾)という名の人質として中津城に連れて来たのかなと思うんだけど、城井さんがそれで納得したのかどうか微妙な感じ(少なくともその時点では城井優勢だったらしいし)
それとも、最初から「和睦したふりをして騙し討ち」が前提だったので、きちんと嫁にするという条件を出したのかな?
何か城井関係の話は資料によって記述がまちまちだから何とも言えないらしい
そして、黒田親子が城井さんと攻防していた時点で、糸ちんはどこにいたのかも地味に気になるぜ
中津城に入っていたのか、京都(あれ?大坂?)で暮らしていたのか

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江戸期は絵もいっぱいあるし、小説やドラマも豊富だし、本もやたら出てるしで、あんまり困らんのですが、戦国期はわからんことがいっぱいなわりに、生活や風俗について書いてある本があまりないんよね

まあ、ぶっちゃけ、戦国期の婚礼について詳しく書いてる資料がほしい
大名同士の同盟的婚儀ではなくて、同僚同士の婚儀の方が知りたい

しかし、どう考えても栄姫の嫁入りはあまりにスケジュールがタイト過ぎてよくわからん
「1600年6月に結婚」というのは間違いなさそうなんですが、
旦那のスケジュールが、6月6日会津征伐評定(IN大坂城)→6月16日会津に向けて出陣→7月2日江戸入り→以下三成挙兵で関が原、中津城に戻るのは11月くらい?(調べきれてない)
んで、栄姫が黒田家に嫁ぐ→7月17日(?)細川家炎上のどさくさに大坂脱出→(多分8月中)中津城に到着
普通大名の娘が大名に嫁ぐっていうのは城に入るらしいんですが、このスケジュールを見る限り中津城に輿入れしたわけではなくて大坂屋敷に留まっていたのは間違いないんですよね
ていうか、形式として婚姻が成立したのがまさに6月6日のようなので、この部分を栄姫が黒田家に入った日と見るべきなのか、黒田と徳川の間で話がついた日と見るのか、どっちのなのかよくわからない
親父殿がいつまで大坂にいていつ中津に戻ったのかもよくわからない
会津征伐への従軍が決まった時点で中津に戻って城を守ることにしたのか、それともずっと中津にいたのか
とりあえず、親戚一同家臣団集めて披露宴的なことをやる余裕がなかったのは間違いないと思うんだけどな
いやいや、6月6日の時点で一通りの婚儀は終わらせてましたよ、的なことが書いてある資料が存在したりするんだろうか?
そもそも、6月6日に結婚したと書いてる資料って何なんだろう? 黒田家文書?
ていうか、いい加減それが読みたいのだけども……
何でも栄姫べた褒めしてるらしいんだけど、多分それはまとめさせたのが光之(おばあちゃん子)だからだと思うよ(笑)

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    黒田大河の実現を夢見るオタク歴10年の♀でございます。
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