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江戸期は絵もいっぱいあるし、小説やドラマも豊富だし、本もやたら出てるしで、あんまり困らんのですが、戦国期はわからんことがいっぱいなわりに、生活や風俗について書いてある本があまりないんよね

まあ、ぶっちゃけ、戦国期の婚礼について詳しく書いてる資料がほしい
大名同士の同盟的婚儀ではなくて、同僚同士の婚儀の方が知りたい

しかし、どう考えても栄姫の嫁入りはあまりにスケジュールがタイト過ぎてよくわからん
「1600年6月に結婚」というのは間違いなさそうなんですが、
旦那のスケジュールが、6月6日会津征伐評定(IN大坂城)→6月16日会津に向けて出陣→7月2日江戸入り→以下三成挙兵で関が原、中津城に戻るのは11月くらい?(調べきれてない)
んで、栄姫が黒田家に嫁ぐ→7月17日(?)細川家炎上のどさくさに大坂脱出→(多分8月中)中津城に到着
普通大名の娘が大名に嫁ぐっていうのは城に入るらしいんですが、このスケジュールを見る限り中津城に輿入れしたわけではなくて大坂屋敷に留まっていたのは間違いないんですよね
ていうか、形式として婚姻が成立したのがまさに6月6日のようなので、この部分を栄姫が黒田家に入った日と見るべきなのか、黒田と徳川の間で話がついた日と見るのか、どっちのなのかよくわからない
親父殿がいつまで大坂にいていつ中津に戻ったのかもよくわからない
会津征伐への従軍が決まった時点で中津に戻って城を守ることにしたのか、それともずっと中津にいたのか
とりあえず、親戚一同家臣団集めて披露宴的なことをやる余裕がなかったのは間違いないと思うんだけどな
いやいや、6月6日の時点で一通りの婚儀は終わらせてましたよ、的なことが書いてある資料が存在したりするんだろうか?
そもそも、6月6日に結婚したと書いてる資料って何なんだろう? 黒田家文書?
ていうか、いい加減それが読みたいのだけども……
何でも栄姫べた褒めしてるらしいんだけど、多分それはまとめさせたのが光之(おばあちゃん子)だからだと思うよ(笑)

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