日々のつぶやきとか覚書とか
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三代藩主様は難解な人過ぎる
主に父親に対しての感情がよくわからない 光之の政策はほとんど忠之と正反対な感じがするのですが、しかし彼の墓は東長寺(真言宗)にある 黒田家藩主は大体初代が建てた崇福寺(臨済宗大徳寺派)にあって、東長寺にあるのは二代目と三代目と八代目だけらしい 単純に宗派の問題だったのかも知れんが、光之は敢えて父の隣に墓を建てたかったんじゃないのみたいな見方もあってよくわからん 黒田光之と言う人は、藩主の長子でありながら母親が父に疎まれてたせいで田舎の家臣の家で生まれて放置されていたらしい それを祖母がちゃんと嫡子として取り立ててくれて、母親を正室にしてくれて、将軍様にお目見えもかなったらしい(その直後にやさしいおばあさまはお亡くなりになりました) 通称が「吉兵衛」だからなのか、祖母とか家臣とかから吹き込まれたのか、会ったこともない(三代生誕は初代死後)祖父の信奉者っぽい 孝高・長政親子の活躍満載の「黒田家譜」をまとめさせたのが光之なのですが、これを命じた貝原益軒先生は忠之に勘気に触れて浪人生活を送っていたらしい 他にも嫉妬なのか何なのか忠之の一方的な嫌がらせから絶縁状態であった叔父の長興と和解したり、 長男が気に入らないから廃嫡して三男を後継ぎにしたり(初代がやろうとして断念したこと)、 親父の放蕩三昧のせいで(?)財政難だったため倹約令を出してみたり、基本方針が先代否定なんだよね 黒田家譜にも忠之についての記述はあまりないそうで(まだ読めてない)、そこだけ見ると「親父が嫌いで、祖父さんみたいになってやる!」みたいな感じを受けるんだけども ちなみに、やや短命傾向(大体寿命が50~60くらい)の黒田家において、妙に長生きだったため、跡取りにした三男と晩年揉めて毒殺騒ぎとか起きてるらしいんだけど、まだその辺はよくわかってない あとこの人「筑前守」になってないっぽいんだけど、なんでだろう? しかし、忠之がバカ息子でダメ藩主だったのは私の中では覆らないなあ 母親の菩提寺(大涼寺)を建てたのが三男なのは何でなのよ…… 三男はびっくりするくらい優等生(父や祖父よりもできた人物に思える)だけど、彼が跡取りになれなかったのは大膳の反対というよりは、若過ぎたからじゃないだろうか 父親死去時がまだ13歳なので、52万石をすんなり相続できたとは思えないんだよね 忠之廃嫡問題が持ち上がった頃に既に病を患って死期が近いことを察していたから、ダミアンはそれを諦めたんじゃないだろうか PR この記事にコメントする
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