日々のつぶやきとか覚書とか
|
日々のつぶやきとか覚書とか
| |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 ということで行ってきました! 8時前に家を出て、22時30分頃帰宅 やっぱり人がいっぱいだった これがかのりきゅう先生から形見分けでもらった燈篭を墓石にした夫妻のお墓 他にも茶室とか歴代藩主の墓とかたまらんかったが、平静は装えたはず! しかし、パンフの文言はまさに、物は言いよう(笑) ところで、たまこは現代では「細川ガラシャ」で通っているわけですが、戦国時代は夫婦別姓なので、 本来は「明智玉(玉子?)」が正しいんですよね でも旦那様に充てたたまこの手紙にガラシャと書いてるのがあるらしいから、意外にもただおき様は嫁をそう呼んでたりしたんだろうか? 大徳寺は塔頭ごとに料金がかかるので、今回はこの高桐院と芳春院だけ 芳春院つまりおまつ様は数え13歳でとしながさんを産んで34歳でちよを産んでるそうで 何かいろんな意味ですごいよね(計11人です) そして、今回もまたがまぐち買ってきました! PR
関ヶ原前後(というか特に関ヶ原後しばらく)のただおき様の言動はかなりむちゃくちゃというか、俺以外の人間はみんな不幸になれとでも言わんばかりのキレっぷりだったようですが、
あの人あんな性格でよく徳川家(に限らず豊臣にも織田にも)に目をつけられなかったなーと思うわけで、 ああいう人の家が明治まで(っていうか今も)安泰なのに、加藤さんとか最上さんとかあっさり改易されてるのが何とも世知辛いなーと思ったりもする でもあの人の無茶な物言いに反抗するのって結局身内だけなんですよね 長男と次男と(三男は基本おとなしい)、そして嫁 っていうか、ただおき様に一番意見してたのはなんだかんだでたまこのような気がする いろんな逸話とかを読む限り、たまこは相当気の強い女性だったのではないかと思う なんだかんだで、ただおき様はたまこに頭が上がらなかったように思えるし (ていうか、たまこが生きてたら長男の嫁離縁も感動も次男の出奔→切腹もなかったように思える) 11月28日(旧暦11月13日)がただおき様の誕生日なのですが、運よく連休なのでちょっくら京都に行ってまいります! 場所はもちろん、大徳寺高桐院ですが何か? 紅葉を見にという名目ですけどね! 何かどんどん痛いことになってることになってるな……
どんなジャンルで来るのかな?(バトル系じゃありませんように)
絵柄はどうなってるのかな?(いやな方向に変わってませんように) などと考えると、ちょっと怖くもある 凄く有名な俗説に南海坊=みつひでさんていうのがあるじゃないですか もし、それが事実でただとしくんが江戸で暮らしてるときにじいちゃんと会ってたりしたらなんかいいなあとか そんな妄想をしてみた 本当にみつひでさんなら、娘婿のただおき様は気づくよなあと思いつつ、本能寺の変が1582年で大権現様に用いられたのが1610年前後だから、30年もあれば面識ある人あんまり残ってないんじゃないだろうか? みつひでさんじゃなくても、明智関係者説が有力と言われてるので、そうなるとやっぱり細川家とは親戚になるので、細川の幕府でのポジションはそういうの関係あるのかなあと思ったりもする 赤マル冬号らしいです!楽しみだ
知れば知るほどただおき様に萌えてくるから困る
基本的には夫婦(当代きっての美形夫婦)萌えなのですが、ただおき様の気持ちはわからんでもないのですがたまこはどうにも理解しがたい人物だ ただおき様を許容できる異常によくできた人物だったのか、父を亡くした時点でどこか病んでしまったのか、身寄りがないから夫にすがるしかなかったのか 考えれば考えるほど興味が尽きない人たちです ていうか、萌えが過ぎてうっかり歴史創作とかに行ってしまいそうな感じなんですが、どうしよう?(笑) そもそもこの二人がきちんと出てるゲームや漫画って「采配のゆくえ」(地味にコンセプトは面白いよね、みつなりさんがもっと空気読めたら西軍勝ってるよね?、っていう・笑)くらいしか知らない でも、このゲームのただおき様はビジュアルもキャラも自分のイメージにすごく近い
カテゴリー
最新記事
(09/17)
(08/15)
(03/08)
(01/02)
(10/01)
最新コメント
最新トラックバック
|
プロフィール
HN:
歌猫いろは
性別:
女性
自己紹介:
蓬庵様の嫁になりたい。
黒田大河の実現を夢見るオタク歴10年の♀でございます。
ブログ内検索
|