ということで行ってきました!
8時前に家を出て、22時30分頃帰宅
やっぱり人がいっぱいだった
これがかのりきゅう先生から形見分けでもらった燈篭を墓石にした夫妻のお墓
他にも茶室とか歴代藩主の墓とかたまらんかったが、平静は装えたはず!
しかし、パンフの文言はまさに、物は言いよう(笑)
ところで、たまこは現代では「細川ガラシャ」で通っているわけですが、戦国時代は夫婦別姓なので、
本来は「明智玉(玉子?)」が正しいんですよね
でも旦那様に充てたたまこの手紙にガラシャと書いてるのがあるらしいから、意外にもただおき様は嫁をそう呼んでたりしたんだろうか?
大徳寺は塔頭ごとに料金がかかるので、今回はこの高桐院と芳春院だけ
芳春院つまりおまつ様は数え13歳でとしながさんを産んで34歳でちよを産んでるそうで
何かいろんな意味ですごいよね(計11人です)
そして、今回もまたがまぐち買ってきました!
[0回]
PR