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明日の晩御飯用にたっぷり作ったので、ビールでも飲みながら食べるとしよう
おでんの汁でご飯を炊くと超うまうまです

何か図書館にいって黒田家関係の資料を集めたり、該当部分のフロイスのアレを借りてきたりしたわけですが、最寄りの図書館にはどうも欲しい資料がほとんどないんだよなあ
横浜に行くか、やっぱり国会図書館に行くべきなのか
とりあえず「黒田長政記」によると、10代の頃とか普通に狸義兄さまといっしょにいることが多いのでその辺はやっぱり萌えポイントなのだと思う(ちなみに結婚前ですが)

バカ息子の婚姻関係がようわからんので適当にぐぐってみたところ、
久松氏と結婚する→側室が嫡男を産む→正室が亡くなる→藤堂家との縁談がまとまる→破談→母の命により側室を正室にする
見たいな流れらしい
でもなんかの本には久松氏とは離縁したみたいなことが書いてあったような気もするがようわからん
嫡男の光之が郊外の別邸で生まれたのは、側室が気に入らなかったということらしいんだけど、これは井伊家のようなもんで正室に憚ったのかな?
光之誕生が原因で嫁と別れる羽目になったのかもしれないな
んで、晴れて独身になった忠之は藤堂家から嫁を貰おうとしたけど何らかの理由で破談になって、それでも縁談が決まらずにおかんに言われて渋々側室を正室にしたってことなのかな?
縁談がまとまらなかった理由よくわからんけど、あまり評判のよろしくない殿だったので仕方がない気もするし、そもそもこのバカ息子おなごよりも美少年の方が好きだったみたいだからなあ

ダミアンが死んでから黒田家を陰から支えたのは実は結構なところ二番目の嫁こと大涼院(栄姫もしくはねね姫)で、
正室問題を片づけたのも三代目を将軍にお目見えさせたのも軍拡して幕府に目をつけられたところをとりなしたのもどうやら彼女だったようで、あんまり知られてないけどかなり賢妻っぽい
バカ息子ではなく出来のいい三男を藩主にしようと画策した説が史実なのか創作なのかは知らない
それで、まあじーっと年表などを見てみたところ、彼女が黒田家に嫁いだのが1600年6月らしく、どうやら大阪城の会津征伐評定の折っぽい
旦那はその直後、多分16日に大坂を経って下向しているので新婚も新婚ていうか、もしかして、夫婦の対面の前に戦が始まってしまったんではないかという気がしてきたんですがどうなんだろ?
栄姫の実家は徳川家臣の保科氏で領国は下総だから、婚姻が決まっても大坂に移動するのに相当時間がかかるよね?
とりあえず治部挙兵時には大坂屋敷にいたことはたしかっぽいけど
15の娘がよく知らん土地のよく知らん怖い顔したオッサンところに嫁いできて、まだ家の勝手とかわからんうちに会ったこともない舅のもとへ落ち延びたというと中々に波乱万丈だなあと思ったりも
しかも、戻ってみたら、舅は戦況掻き回す気満々だわ、よく知らないけど生涯を共にしなければならない怖い顔したオッサンの安否も気になるわで、いろいろ大変だなあと持ったりもしたというか
うん、何か萌えた(笑)
 

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母が来てるので、相当飲み食いしてるわけで、自分の食欲にびっくり
体重計には乗りたくない(笑)

そんなこんなで長谷川等伯展に行ってみたり(地味に細川さんプッシュは4月からの特別展のせいかね)、
銀座でとてもよい緑色のメガネを買ってもらったり(一週間後が楽しみ)、
両国でやたら人気のあるちゃんこ屋でちゃんこを食べたりしました
そんなこんなでこれからもっともっと文化的な生活を送りたい

何となく名将言行録の井伊直孝(ひこにゃんの殿様)の項目をチェックしていたら(私はどうも複雑な家庭環境に育った武将に惹かれるのです)、
黒田騒動の時、大老だった直孝が「何か揉めてるけど黒田家どーすんべ?」という相談を幕閣の皆さんと話し合ってた時に、
「まあ、黒田は謀反起こしそうにないし潰すことないんじゃねーの?」といった結論を三代将軍につたえる話が載ってるんですが、
何か突然「子細は蜂須賀蓬庵と之意趣あり」とか出てきてドキッとした
いや、ひこにゃんの殿様の嫁は狸義兄さまの娘婿で(しかもこいつはいずれ大物になる!と目をつけて嫁をやったらしい)なんですが、突然名前が出てくる意味がわからん
ていうか、黒田かばってるしなあ(まあ、普通潰せとか言わんだろうけど、三斎様じゃあるまいし・笑)
やっぱり黒田と蜂須賀は離縁後も実はそれほど仲が悪いわけじゃないのかしら?
ちなみに黒田騒動は先代死後10年たってからの騒動なのですが、多分最初の嫁はまだ存命だったっぽい(多分兄のもとでひっそり暮らしてたと思われます)

ところで黒田騒動は家臣団がうまいこと処理をしたとかダミアンが生前から幕府と良好な関係を築いて根回しをしていたおかげだとかいろいろありますが、
どうも地味に二番目の嫁(実は権現様の姪っ子なので幕府にいろいろ顔が利くらしい)が奔走してような気がする

ていうか、相変わらずダミアンのキャラが定まりそうで定まらない
直情型肉体派武将化と思えば、家臣に気を遣いまくりでやや押しに弱い感じもして、しかし他家からは「出来のいい二代目」扱いされてて、「武断派で誠実そうに見えて妙に知恵の回る侮れない奴」みたいな評価も受けてるっぽい
あと、「戦場で会ったら怖い人」筆頭(多分常に不機嫌そうな顔してたんじゃないかと)で、とりあえず本人は本能的な部分だけじゃなくて確固たる理由があって突進至上主義(強い相手にはとりあえず挑んどけみたいな)らしい
基本的に自己顕示欲が強いというか、功名心にはやるきらいがあるんだけど、そういうところは親譲りだなあと思ったりもする

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ダミアンの幼名が「松寿丸」なんですが、「しょうじゅまる」なのか「まつじゅまる」なのかどっちかと悩んでいたところ、名将言行録に「まつじ~」と振り仮名があるから、「まつじまる」だか「まつじゅまる」が正解っぽい

自分のイメージするところのダミアンの呼称
黒田甲斐守(後に筑前守)吉兵衛長政 幼名:松寿丸 洗礼名:ダミアン
なので、
親父殿:「吉兵衛」(幼少時は「松寿」)
母上:「吉兵衛」「吉兵衛殿」
またべ:「殿」、「吉兵衛様」、たまに「吉兵衛」
一成:「殿」(若い家臣は基本的に同じ)
熊之助:「兄上」
栗山さん:「若」→「殿」(歳の離れた家臣は基本的に同じ)
母里さん:ずっと「若」
叔父さんたち:「吉兵衛」、たまに「松寿」
最初の嫁:「吉兵衛様」たまに「まっちゃん」(笑)
二番目の嫁:「殿」
狸義兄:「吉兵衛」「甲州」
その他大名:「甲州(筑州)」「甲斐殿(筑前殿)」(幼少時からの知人はたまに「松寿」だったり、「吉兵衛」だったり)
官職呼びはちょっとよそよそしい感じがするのですが、通称で呼び合うほど仲がいい(付き合いの長い)わけでもない相手だといっそ「黒田」なのかなーと思ったりも
しかし、あんがい軽々と諱を呼んでたりする例もあるので(特に手紙などでは)その辺の感覚がようわからんのよね

ところで、黒田親子がキリシタン大名なのは知られた話だと思うのですが、義兄もひっそりキリシタン大名なので、その流れで言うと最初の嫁も多分洗礼受けてるような気がする
嫁はキリシタンだけど旦那は違うよという例(細川さんとか宇喜多さんとか伊達さんも?)はたまにあるんだけど、逆の例って多分ほとんどないはず(大友さんとこは多分相当特殊な例)
 

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また、ぼーっとしてるうちに申し込み期限過ぎてたし
当分イベント参加予定なしということで……
一般で行けたら何か行こうかな、うん


ていうか、そろそろサイトをどうにかしたい感じがするので
ちまちま整理していこうかと思います


やっぱり創戦がやりたい気がする

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じゃあ、書きなさいよって感じですが、何から書こうか、そして書けるのか

創戦かもしくは江戸か、やっぱりオリジナル大名家なのか、いっそ現パロ戦国(戦国史を企業戦争に置き換えるみたいな)か、ううむ
オリジナル大名というか、旗本の次男坊がひょんなことから大名に!みたいな設定(実際にいるんですよね、榊原政岑など)とか、輿入れ後すぐに夫を亡くした大名の未亡人と改易されて他家お預けになった元大名の心の交流とか、おてんば姫君の結婚騒動とか、
殿様とか姫君とか奥方とかお家騒動とかそういうのが書きたいんだよなあ

創戦はやっぱり黒田です
なんかもう黒田家が好きすぎて、呼吸困難になりそうな感じです
親父殿の若い頃とかやたら多い兄弟のネタとか、出来の悪い嫡男含めいろいろありそうな子世代も気になるんですが、やはりダミアンで何か書きたい気がする
何か書きたいけど何を書けばいいのかわからない

 つか、そろそろ年表作った方がいいかな
長浜行きとか有岡城事件とか初陣とか結婚とか転封とか叙任とかいいかげん覚えきれん

 

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