日々のつぶやきとか覚書とか
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× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 いつの間にか米村圭伍先生の新作が出てたり、気になってた本をアマゾンで買ってしまったり、ゴールデンスランバーが手元にあったりするのですが、とりあえず20日までに読んでしまわねば! 江戸時代になると大奥ではおしとねさがり(断わり)と言って、30過ぎた女性は殿様と閨を共にしなくなるようなので、私くらいの年頃の女はもう女として認められない風潮だったのかなと思うのですが(遊郭でもさすがに客が取れなくなる頃だし)、 これが戦国期だと全然まだイケるんですよね、面白いことに たとえば、信長公の二女の冬姫は蒲生・レオン・氏郷の正室だったのですが、旦那が死んで未亡人になったとき34歳だったらしいのですが、美貌の奥方だったので太閤閣下に側室にならないかと誘われたという話がある この時代の姫君は基本的に政略結婚なので、家の都合で結婚させられたと思ったら、家の都合で離縁させられたりする そして、またすぐに他の家に嫁いだりするので、再婚率がかなり高いはず 47歳で再婚(しかも押しかけ)した慶誾尼(けいぎんに)様は極端な例だと思うのですが、20代後半での再婚は珍しくないようです そういえば、戦国一の美女とうたわれたお市の方が柴田さんと再婚したのが36歳 まあ、これだけ見ると政略結婚だし形式として夫婦なだけじゃね?と思いがちですが、戦国時代は高齢出産が結構多い よく「戦国の頃とかは10代前半で出産とか普通だから」みたいに言われますが、出産年齢の幅が広いというのが正しいのかもしれない ・伊達政宗の正室・愛姫(竹松丸出産が41歳) ・鍋島直茂の継室・陽泰院(鍋島忠茂出産が43歳) ・家康二女で池田輝政の継室・督姫(池田輝興を出産したのが46歳) 他にも普通に最初の出産と最後の出産に15年くらい隔たりのある女性もいるので、30↑の出産は実はそれほど珍しくなかったのではないかと思います ていうか、この時代の奥方は正室でも5人以上産んでる人も結構いて、そういう女性に限って長生きだったりするので、江戸期に姫様に比べるとえらく逞しいなあなどと思います 私は基本夫婦萌えなのですが、とある創作戦国サイトでえらい萌えるイラストを見てしまった PR この記事にコメントする
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蓬庵様の嫁になりたい。
黒田大河の実現を夢見るオタク歴10年の♀でございます。
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